先週末の土曜日、東京八重洲にて、NPO法人雨漏り診断士協会のスキルアップセミナーが行われた。
このセミナーは「雨漏り診断」実践プロセスと題したものだが、この時のみ話すと言う内容もあり、雨漏り診断士有資格者をはじめとして64名の参加があり、皆さん、大変勉強になったという評価を頂いた。
そして昨日、東京新宿にて、雨漏り110番グループのグループ会議が行われた。
新たに雨漏り110番グループに参加したメンバーも居るのですが、基本的に雨漏り診断士試験やスキルアップセミナーで面識はあるので、初めて会うという訳ではないし、それぞれが雨漏りに対して真摯に取り組んでいるからこそ成立しているグループであり、その会議。
私自身、建築業界、当初の本業である塗装業へ転職したのが23才の時。
あれから20年を超え、その間に多くのお客様とのご縁をいただき、大変多くの経験、学びをさせていただきながらここまでやってきた。
しかし、未だたった20年の経験にすぎず、まだまだ勉強不足を痛感しながら、日々の業務にあたっている・・・・・。
しかしこの20年超えの経験にて、いや、確か、仕事を初めて数年したころだろうか?、想うこと、感じること、そして憤りなどもあり、仕事に対しての意識、自覚、責任を大きく考えるケースに直面した。
あとになって思えば、たった数年間のサラリーマン時代にも、何回もそのような場面に遭遇したのだが、その当時は気がつかなかったことも多数あり、何事も経験によって身になるかどうかが分かれてくるのだろうと実感しているのです。
と、なんだか抽象的な文章となってしまったのだが、先日の某巨大新聞社の謝罪会見を見て、この意識、自覚、責任について、あらためて感じたのです。
私の業務は建物修理をすること、塗装工事、防水工事、雨漏り修理が主な仕事である。
仕事とは、お客様からのご依頼により対価をいただき行う業務であり、ボランティアで無く、対価をいただく以上はプロなのである。
そしてプロとしての意識が必要なのは言うまでもなく、その自覚と責任が伴ってくると思っている。
某巨大新聞社には、この意識、自覚、責任について、奢りによって欠如してしまったのでは無いのか?情報を多くの人々へ発信するということは、それだけ大きな責任が伴うのは当たり前なのだが・・・・・。
もちろん、一方的な批判は避けるべきだし、考え方というのは人それぞれだと思うのだが、どのような業務であれ、遂行するにあたっての意識、自覚、責任を持つべきだし、それが筋であると思う。
私の仕事に置き換えてみても、塗装や防水の工事を行うにあたり、塗装技術・防水技能として、多くの知識や経験が必要であり、作業するうえでの根気も必須であり、建物全体の構造的な分野から使われている素材においても十分な理解が必要である。
そして扱う塗料や防水材の性質、特性、成分に対しても、理解できてこそ性能を活かし、引き出すことができるのではないかと思っている。
また、雨漏りに関して言えば、塗装や防水以上に、建物全体の構造、素材、特徴を理解する必要があり、それが無いと、雨漏りの原因を正確に理解することができず、雨漏りを治すというお題目を唱えた、ただの小手先工事になってしまう可能性がある。
それこそ、小手先の工事を受注するための切り口で雨漏りという言葉を使うなど、雨漏りで困っているお客様を騙すようなものであり、決してプロとは言えず、詐欺と言っても良いだろう。
お客様に選ばれる、だからこそプロとしての意識、自覚、責任が必要なのだと考えているし、そもそも当たり前のこと。
これが、新聞記事としてならば・・・・・、やはり、今回のような後での言い訳はアウトである。
プロとして何をすべきか? 商売になれば何でもアリなのか?
なんだかまとまりの無い文章になってしまったが、某巨大新聞社には、もういちど当たり前とも言える原点を考えてほしいと思うし、私自身も、自らの責務を果たすべくと思うばかりです。
なにしろ、プロなのですから・・・・・。